敦煌:莫高窟と砂漠の旅
敦煌は 中国西北地方の甘粛省(かんしゅくしょう)にある歴史遺産の街です。かつて中国西安とローマなどヨーロッパを結んだシルクロードの交易都市、分岐点として栄えたオアシスの都市です。有名な「莫高窟」、市内近くにある砂漠の山「鳴砂山」、郊外にある漢時代の関所跡「陽関」、「玉門関」など見どころ沢山、歴史情緒あふれる魅力ある都市です。
いざ敦煌へ出発
日本から敦煌への直行便はなく、西安を経由しての旅が一般的、敦煌空港はシーズンオフの冬場には封鎖されることもありますので注意が必要です。今回は同行者の都合により新潟空港から出発、経由地の西安で一泊、翌日早朝いよいよ敦煌へ向けてのフライトです。
だんだんと高度が低くなってきました。砂漠に突如として緑あふれるオアシス都市「敦煌」に到着です。
高層ビルも殆どなく、車も多くないゆったりとした町並み、のんびり散策できます。オアシス都市だけあり、市内は緑がたくさん、川の水量も多く豊かさを感じさせてくれます。
莫高窟へ
莫高窟(ばっこうくつ)は敦煌市郊外にある仏教遺跡、敦煌千仏洞とも言われ、岩場の斜面に洞窟を掘り、中に無数の仏像が作られています。ここに仏像が作られるようになったのは五胡十六国時代(三国志の時代の少し後)の355年か366年とされています。それから1000年に渡り多くの仏僧などにより造営が進められました。
市内から車で30分程、川を挟んだ対岸の向こう側に多くの洞窟が見えてきます。スゴイ!
いったん停車して撮影しました!遠くから見る遺跡からは悠久の時の流れを感じさせてくれます。
再び、乗車していよいよ莫高窟へ、中央に見えるのが中に巨大な仏像が安置された本殿(?)左右の無数の洞窟と仏像群が広がります。
正面から本殿(?)を撮影、中は残念ながら撮影禁止、今回は市側の特別な計らいにより多くの仏像を見学させていただくことができました。
玉門関
シルクロードの重要な関所であった「玉門関」の遺跡、旅人が通過する門が残っています。なかでは広場があり、おそらくこの中で関所を通る業務をおこなわれたと思われます。漢時代に築かれた万里長城の西の端に設置された関所です。何度か関所の場所も移されたのですが、古代三蔵法師が天竺(今のインド)へ向けて旅立ったときこの関所を通過したそうです。
ただの岩?のように見えますが関所跡、周りの長城は崩れてなくなってしまいました。
砂漠には蜃気楼が見えます。(少しわかりにくいですが空と地面の境界線あたり、中央から左側m遠くに平べったい山があり、その前にぼやっと池があるように感じますが池も山も蜃気楼です。)
陽関
玉門関の南に位置する「陽関」も関所の一つですが現在では近くの烽火台(のろしだい)のみが残っています。この「陽関」中国人はもちろん、歴史好きな日本人なら知っている有名な場所です。
この陽関は中国の詩人「王維」が詠んだ有名な誌の場所。
「元二の安西に使いするを送る」に詠われています。学生の頃習いましたね。
渭城朝雨潤軽塵 (渭城の朝雨 軽塵をうるおす)
客舎青青柳色新 (客舎 青青 柳色新たなり)
勸君更盡一杯酒 (君に勧む、更に尽くせ一杯の酒)
西出陽関無故人 (西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん)
意訳:ここ渭城に降る朝雨が街の土ぼこりをすっかり清め、宿舎の柳はますます青々しく感じる、さぁもう一杯飲んでくれよ、陽関を出てしまえばもう友人はいないのだからなぁ。
「西のかた、陽関を出ずれば 故人無からん。」→ (陽関を出て西へ行ってしまえば、もう(共に酒を飲み交わせる)友人はいないのだから、)という文がこの地域が古代中国と西方の分岐点であったのだなぁ、と実感させてくれます。
鳴沙山と月牙泉
鳴沙山は敦煌市の南約6kmに位置する美しい砂丘です。市内からも姿を一望することができます。風が吹くと砂が鳴くような音を出すことから鳴沙と呼ばれるようになったそうです。
鳴沙山の頂上を望む。キレイな砂の峰が続きます。この上を歩いて上るとこができます。細かい砂が舞うので髪の毛や服に大量の砂がつきます。また、カメラなどにも砂が入ってしまうので要注意です。夜ホテルでシャワーを浴びると大量の砂が出て浴槽が砂だらけになってしまいます。
砂漠と言えばこれ!そう!「ラクダ部隊!」我々もラクダに乗って鳴沙山の麓にある月牙泉へ向かいます。
およそ20分ほどで月牙泉に到着。月牙泉は砂漠にある三日月型の池が浮かぶオアシス、古くから観光地となり漢の時代や唐の時代には既に観光地として旅人が訪れていたそうです。寺院も建っています。
帰り際の夕日が映る鳴沙山、とても美しい砂漠の山です!。中国の砂漠はゴビ砂漠(砂利や石の砂漠)が多くてサハラ砂漠のような細かい砂の砂漠は少ないのですが、ここ鳴沙山は美しい細かい砂漠でキレイです。
2007年5月(チャイ語なび、Y)
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